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山梨の蛍と小川

仕事で御坂町を訪ねた後、山沿いの農道を使って甲府に帰ろうとしたとき突然、南アルプスの眺望の開けた八代町に出た。あまりの見事さに車を止めて眺めた後、右手に見えた大きなイチョウの木に惹かれるように熊野神社に入っていった。境内はそれほど広くはないがイチョウの木の見事さは目をひいた。その鳥居の前の大きな切り株からその木の大きさを想像することが困難なほど大きなものである。大きな切り株

この町役場辺りから見る南アルプスは見事である。確かに八代町は甲州にあっても御坂山系の麓にある関係で富士山を見ることはできない。ここからはむしろ南アルプスや甲斐駒ケ岳などの甲斐が根がパノラマのように広がり、甲斐駒ケ岳を見るのはここが一番良いのではないかと思わせる。ここにくると飯田蛇笏の「芋の露連山姿正しうす」はこのような光景を詠ったものかと連想される。春先は桃の花が一面を桃源郷と変える。

山梨の果物は江戸時代から有名で「ぶどう・なし・もも・かき・くり・りんご・ざくろ・くるみ」を甲州八珍果と呼ぶようになり、甲州の名物とされた。由来は甲州が幕府の天領となる最後の領主柳沢吉保公の銘々にかかるという話もあるがつまびらかではない。山梨の桃は日本一美味しいでしょう。宝石のような大きな桃

役場の前を過ぎて、笛吹川を渡るときその橋を見てびっくりした。その橋は「蛍見橋」である。なんと言うきれ蛍見橋いな名称か。聞くところによると甲府市内にも蛍見橋という名称はあるらしい。とはいえここから南アルプス、甲斐駒ケ岳を背景に笛吹川に映る蛍の光はいかばかりであろう。昔は多くの蛍を見ることができたのでこのような名前になったのであろうか。

この蛍に関して少し気にかかることがあった。山梨に赴任してきて取引先を訪問し、また郊外を歩いたときもなぜか田んぼの水路が他の地方とは異なることが気になっていた。というのは盆地の中の水路が全てセメントで作られた水路なのである。前任地の会津若松市の白虎隊で有名な飯盛山のそばには「石部の桜」という樹齢600年の見事なさくらがあった。その当たりは「春の小川はサラサラ行くよ・・・」に歌われるようなあぜ道や小川のある里山があった。そして会津盆地のいたるところにそのような光景があった。ところがここ甲府盆地ではほとんどそのような光景を見かけることがなかった。これは会津若松市というこの甲府と似た地形の町に住み、四季の移り変わりを風雅とし友としてきた私ならではの感想だったのかもしれない。

また甲府市の南隣の昭和町役場のそばの水路に山梨の特有の源氏ボタルが水路の整備で絶滅してしまったという碑を見たことがあった。

この疑問は2000年2月18日に解決した。電車で東山梨駅に行き、フルーツパークの裏を越えて武田神社の裏山である太良峠を越え甲府市へ戻ってくる約20キロ以上のハイキングをした。その道すがらビニールハウスの中をのぞいているとそこの奥様が出てこられてビニールハウスの中で漬物とお茶をご馳走になりながらいろいろと話を聞かせていただく幸運に恵まれた。

ビニールハウスのブドウの種類や私が歩いている目的等を話すうちに、「山梨の田んぼの水路が何処に行っても整備されていますね。少し味気ないですね。」という話になった。するとその家のご主人が事細かに教えてくれた。

要約すると、「山梨県には田んぼの水路に住む宮入貝(ミヤイリガイ)に寄生する病原体によって日本住血吸虫病という地方病が猛威を振るっていた。そこで山梨県ではこれを撲滅する為に水路に薬を撒いたりしたがなかなか撲滅できなかった。百年戦争とまで呼ばれていた。そこで巨額の国の金を使って水路をセメントで整備して宮入貝の住まない環境を整備したという。その総延長が2000キロほどにもなる。そして平成9年にやっと地方病は撲滅できた。」という話を聞いた。

そのときに「だから山梨特有の蛍が絶滅したというのはそのようなわけなのですね。」という話をしたことがあった。

私がこの山梨に赴任して奇異に思った山梨の田園風景や里山のせせらぎに関する疑問が山梨県の百年戦争といわれた地方病の撲滅の為であったこと、さらにその犠牲となった山梨県の蛍の関係を知っていたため、蛍見橋という橋を見つけときの感慨はひとしおだった。

少し、長くなってしまったが、蛍見橋に対する思いはこのような経緯に基づくものである。

さらにこの八代町には「花鳥山」という小高い丘がある。なんと綺麗な山の名前であろう。ここには日本武尊が休息したときに杉橋を地面にさしたものが根付いたと伝えられる一本杉がある。ここから見る甲府盆地の夜景も見事である。特に南アルプスの日が落ちて山の端が輝きだす夕暮れが特にいいと思う。

ちなみにこの花鳥山は戦で討ち取った武者の鼻を取る山という言伝えもあると聞いた。

この八代町に関しては一つ紹介しておかなければならないことがある。私はこの「甲府勤番風流日誌」の第1篇をいつもお世話になっているクリーニング屋さんの女将さんに差し上げた。週に1度、ワイシャツのクリーニングをお願いしていたのであるが、2001年2月14日にバレンタインのチョコレート代わりと言って先ほど紹介したこの町の八代醸造株式会社の「シャトーモンターニュ」という白と赤のワインを頂いた。さらにこの会社から送られてきたこのワインが紹介された新聞記事のファックスが添えられていた。

早速その週末埼玉の自宅に持って帰り、妻と二人このワインをグラスに注いだ。そして妻は「まるで美味しい日本酒ね。それも大吟醸酒ね。」といった。びっくりした。頂いた新聞に「幻の和風ワイン」と紹介されていたのである。ワインでありながらワイン特有の渋みがなく吟醸酒のような口当たりがよいワインなのである。

このワイナリーは昭和57年5月に設立され八代町で生産されるブドウのみを使って作られるという点が売りである。甲州ワインといいながら多くのメーカーがバルクワイン(樽詰されてない状態で輸入したワイン)を混合して作っているからである。

「甲斐路紀行」は赤、白、ロゼ共に飲みやすい妻が言い得た和風ワインである。決してフランスやドイツのワインだけがいいわけではない。それぞれの民族は歴史や風土、基本的な味覚をベースとしたそれぞれの民族に最も合うワインがあるのだと思う。日本中にそれぞれの自慢の米と水を使った美味しいお酒があるように甲州には日本人に合うワインがあると思う。こだわって国内の自分にあったワインを見つけてみるのも一つの趣味として面白いと思う。


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